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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)8083号 判決

原告

上原成信

原告

伊藤弘之

右原告ら訴訟代理人

中島通子

中川明

被告

株式会社新潮社

右代表者

佐藤亮一

被告

野平健一

右被告ら訴訟代理人

多賀健次郎

萩原秀幸

主文

一  被告らは、原告らに対し、別紙(一)記載のとおりの謝罪広告を、表題の「謝罪文」とある部分並びに末尾の「株式会社新潮社」、「週刊新潮編集発行人野平健一」とある部分及び「上原成信殿」、「伊藤弘之殿」とある部分はそれぞれ二倍活字とし、本文は一倍活字として、週刊誌「週刊新潮」目次頁下段に縦八センチメートル、横14.5センチメートルの大きさで、一回掲載せよ。

二  被告らは、各自、原告らに対し、各金七〇万円及びこれらに対する昭和五三年九月一二日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その二を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1の(一)、(二)(当事者の地位)及び同2の(一)(被告野平がその責任において「週刊新潮」昭和五三年六月一日号に本件記事を掲載したこと及び被告会社が昭和五三年五月二五日から約一週間にわたつて本件記事が掲載されている右「週刊新潮」数十万部を販売したこと)の各事実は、当事者間に争いがない。

二ところで、原告らは、本件記事を一般読者が普通の読み方をすれば、原告らが「中核派」に属し、管制回線切断事件の犯人ないし内部協力者であるとの断定的印象を持つことが明らかであることを理由に原告らの名誉が毀損された旨主張するので、以下、この点について判断する。

1  本件記事掲載に至る経緯

前記一記載の当事者間に争いのない事実に、〈証拠〉によれば、次の(一)ないし(四)の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  政府は、千葉県の成田に新東京国際空港(以下「成田空港」という。)を開港しようとしていたところ、地元農民及びこれを支援する「中核派」をはじめとするいわゆる「過激派」は、実力で、幾度となく、右空港開港阻止行動を繰り返していた。

殊に、政府が昭和五三年三月二六日に成田空港を開港しようとしたところ、「過激派」は、右空港の管制塔を暴力で破壊し、もつて、右空港の設備に多大な損害を与えるとともに、右空港を使用不能な状態に追い込んだ(以下これを「管制塔事件」という。)。このため、政府は、成田空港の開港を延期せざるを得なかつた。

(二)  そこで、政府は、今度は、昭和五三年五月二〇日に成田空港を開港することにした。これに対し、開港当日である昭和五三年五月二〇日未明、航空管制の中枢である埼玉県所沢市所在の東京航空交通管制部と国内各空港及びレーダー基地とを結ぶ電電公社市外地下ケーブル回線が、所沢、狭山両市内で三か所にわたつて切断されるという、いわゆる管制回線切断事件が発生した。そして、右事件のため、航空機の管制業務は全国的に麻痺し、空のダイヤは午前中一杯大幅に乱れた。

ところで、「中核派」は、昭和五三年五月二〇日、管制回線切断事件は、同派が成田空港開港阻止行動の一環として行なつた旨の犯行声明を出した。また、警察当局も、犯行声明の内容及び犯行方法等から考え、管制回線切断事件は「中核派」の犯行に間違いないと断定し、かつ、右犯行態様等から判断し、電電公社内部に手引者がいる疑いが極めて強いとして、同公社と連絡を取り、右事件の本格的捜査に乗り出した。

(三)  ところで、被告会社の「週刊新潮」編集部では、同社の小菅瑛夫記者が、昭和五三年五月中旬ころ、某労働組合の幹部から、全電通及び全逓各労働組合内の反戦青年委員会加入者を掲載した本件リストを入手してきたので、本件リストに掲載されている者達が同年五月二〇日の開港日にいかなる行動をとるかということを記事にし、同年六月一日号の「週刊新潮」に掲載しようとした。ところが、同年五月二〇日に管制回線切断事件が発生したため、被告会社の「週同新潮」編集部では、同日夕方の編集打合わせで、前記企画を変更し、管制回線切断事件の真相を探り、かつ、右事件当日に本件リストに「中核派」と記載されている電電公社職員がどういう行動をとつていたかを記事にすることにした。そして、被告会社の「週刊新潮」編集部では、本件リストに「中核派」であると記載されている電電公社職員のうち既に退職したもの(ただし、逮捕歴のあるものはこの限りでない。)を除く全員を、実名入りで掲載することにした。そこで、被告会社の「週刊新潮」編集部では、本件リストに「中核派」であると記載されている電電公社職員に直接会い、もつて、本件リストの記載が真実であるかどうか等を確認することにした。

(四)  そして、本件リストには原告らも「中核派」であるとして記載されていたので、飯田記者が原告らの取材にあたつたが、結局、原告らが本件リストに記載されているとおり「中核派」であるか否かその真疑は不明であつた。しかし、被告会社の「週刊新潮」編集部は、原告らが「中核派」であるかどうかの断定はせず、その判定は読者に委ねるとの方針のもとに、原告らが本件リストに「中核派」に所属する者として記載されていることを一内容とする本件記事を「週刊新潮」昭和五三年六月一日号の一三六頁から一四〇頁に掲載した。

2  本件記事の内容

そこで、〈証拠〉によれば、本件記事の内容は、次の(一)及び(二)記載のとおりであると認められる。

(一)  本件記事は、「週刊新潮」昭和五三年六月一日号一三六頁から一三七頁の二頁にわたり上段一杯に横書きで「すでにリストされている過激派職員の『その日』を点検する電電公社」という大見出しを、その大見出しの右下には「襲撃されたマンホールとその内部」という説明を加えた写真二葉を、右大見出しの中央下にはゴシック体の太字で「「犯人は電電公社内にいる?」―成田空港開港日の早朝、“空の心臓部”といわれる埼玉県所沢市の管制回線が三カ所も同時に切断された事件について、捜査本部も初動捜査の重点をほぼそこに絞つている。実行行為に及ばないまでも、事件の性質上、誰か内部協力者がいたに違いない、というわけである。先の三・二六成田事件で五人の逮捕者を出した同公社から、またしても……?今や、“過激派の巣窟(くつ)”のような観のある電電公社だが、折も折、同公社の「過激派職員リスト」なるものも出まわつて」というリード部分を、更に、同誌一三八頁左上には「電電公社過激派職員リスト(中核派)」と表示した原告らを含む一八名の氏名、年齢及び職場名入りの一覧表をそれぞれ掲げ、そして、本文は、同誌一三六頁冒頭の「電電公社にいつたい何人ぐらいの“過激派職員”がいるのだろうか―。」以下同誌一三七頁の「……自分は当日アリバイづくりをしておいて、情報だけを与えるということは十分に考えられる」までの第一段落、同頁三、四段にかけての「六十三人の無断欠勤者……」との中見出しとそれに続く「当の電電公社では」以下同誌一三九頁の「時が時だけに“事実”を指摘したまでなのだが……。」までの第二段落、同頁二ないし四段にかけての「「一〇四番」の過激派嬢たち」との中見出しとそれに続く「そんな折も折、本誌が入手した電電公社職員の“過激派リスト”は」以下同誌一四〇頁末尾の「郵政についても、「中核」やら「革マル」と分類されたものが出回つている……」までの第三段落からなつている。

(二)  そして、本件記事の第一段落では、電電公社にはシンパを含め三百人から四百人の過激派職員がおり、現に、昭和五三年三月二六日の管制塔事件では、五名の電電公社職員が逮捕されており、今また、管制回線切断事件について、捜査本部から電電公社職員の「内部通報説」ないし「協力説」が指摘されていると論じたうえで、更に、「しかも、当日、中核派は事件直後に、まるで前回、第四インターに後れを取つた無謀な“破壊行為の先陣争い”をこれで取り返したがごとく、「アレはオレたちがやつた」という声明を出し、そして警察もほぼ彼らの犯行と断定している。―だとすればである。手引きをしたのは、電電公社過激派職員「三、四百人」のうち中核派職員と簡単にいうこともできる。いや事実、中核派という前提に立てばそうに違いない。」旨の記載がされ、これに続き、「むろん、何事にも慎重な捜査当局、捜査の進展をそう軽々に語るわけではないが」との記載があるものの、これに続いて、「内部協力説」の根拠が縷縷記載されている。

また、第二段落では、管制回線切断事件で電電公社職員の「協力説」が指摘されていることに対する電電公社当局の見解及び昭和五三年五月二〇日の成田空港開港阻止行動に職員を参加させないための電電公社当局の対応策とその結果が記載されている。

更に、第三段落では、被告会社が、さる労働問題の通信社が昭和五三年三月の管制塔事件以降作成し、現在、ひそかに関係機関や団体などに出まわつているらしい、電電公社職員の“過激派リスト”、すなわち、本件リストを入手したこと、右リストの中から「中核派」と記載されている電電公社職員を一覧表にして掲載する理由は、「中核派」が管制回線切断事件を自らやつたと名乗つているためであり、その「中核派」と記載されている職員が電電公社内でどういう形で存在しているのか、そのありようを知りたいと考えたからであることを記載したうえ、右一覧表に掲載されている者達に取材した結果が談話形式でまとめられている。そして、右取材結果は、次のとおり記載されている。すなわち、「とにかく全員に可能な限りアプローチし、以下の「返答」ないし「状態」をフォローすることができた。そのままお伝えする。」としたうえで、一方で、「東京電話番号案内局には五人の「一〇四」嬢がいる。(中略)新保久子サンがかつて住んでいたアパートの家主は「警察の人があの人のことについて調べに来たことがあるんですよ。見た限りでは普通の人でしたがね。でも、以前は活動していたのは確かなようでした」。同じく小野千鶴サンの元大家さんも「あの人のダンナさんが本人以上に活動家でね……」「一〇四番」には、あと三人の女性がリストされていたが、現在はすでに退職。それらの人のケースも調べてみると、「警察の人が来て、天井板まで引つぺがして調べて行つたことがありました」とか「警察の人が来たことをちよつと話したら、そのあとすぐに、引つ越し先も告げずに出て行つた」(いずれも元大家さんの話)など、(中略)東京市外電話局の長島康子サンのケースは、上司の一人が「昔の仲間らしい人から電話がくると、逃げているような状態だから―それも昔の話ですよ―今はやつていない」。(中略)リストの中には、かつての中核派の闘争に参加、逮捕された者もいる。東京搬送通信部の今竹優クンは、四十六年十一月の、かの日比谷公園・松本楼放火事件(ただし不起訴)。彼はこういう。「そのことがあつて以来、全然運動にタッチしていない。何もしていません」。東京電信施設所の広瀬昌之クンは、四十六年十月の「国際反戦デー」に参加、逮捕、起訴された。以後、長い間「刑事休職を続けていたが、昨年十月退職。母親がいう。「過激な運動はこりごりで、当入も足を洗いました。裁判も分離公判で、執行猶予だつた。家にいると、運動をしている連中から連絡があつて、息子もいやがり、いづらくなつたので、地方に行かせたんです」(中略)東京電信施設所の……太田譲司クンは、「今はまつたく関係していませんよ。もうかなり前に(中核からは)抜けている。当時、何をしたつて、今さら恥ずかしくていえませんよ」という。」と談話形式で、本件リストに「中核派」と記載されていることにもつともな理由がある事情を記載し、他方で、「長島康子……本人は「私は今、頸肩腕症候群という病気で、もう十年も病院通いをしている。こんな体でとても運動なんかできません。セクトについては、お答えする意思はありません」(中略)東京電信施設所の岩井良夫クンは、「積極的、自覚的に活動したわけではないんですよ。七〇年ごろ、ちよつと、ウロウロしただけのことです。中核派に属したことはありません。今は何もしていない」といい、(中略)電気通信研究所の五人は、みな一様に、「どうして私の名前が入つたのかわからない」といいながら、「就職してからは何もしていない。むろん中核でもないし、今は組合員でもない。四年ほど前から管理職になつた。迷惑だ」(佐々木収氏)とか、「そのリストはまつたくデタラメだなあ(とキョトンとした表情で)。私らの学生時代は六〇年安保時代だから、当時、学生運動に多少のかかわりは持つていたとしても、セクトには属していない。公社に入つてからは活動はしていませんしね」(山田武男氏、小林尚吾氏。上原成信氏については夫人が中核派所属を否定した)なかで伊藤弘之氏が「私は体が丈夫でないから、成田に行つた回数は少ない。いつ行つたか、そんなこと三里塚にとつて問題ではない。本来、答える必要はないが、五月二十日は家にいた。三月二十六日は成田の公園の集会だけ参加した。しかし、私はどの政治的分類にもまつたく属していない」といつた。」と談話形式で、本件リストに「中核派」と記載されている人達の右リストの記載は間違つているとの反論を記載し、右各記載のあとで、「―すでに紙数もつき、説明すべきこともすでに書いた。判断は読者におまかせする。」と結び、本件リストの記載内容の真疑の判定を読者に委ねる形式をとつている。

右(一)及び(二)の認定事実によれば、確かに、本文第一段落中に「むろん、何事にも慎重な捜査当局、捜査の進展をそう軽々に語るわけではないが」との記載個所があること、本文第三段落中に「「中核派」と記されている職員が、電電公社内で、どういう形で存在しているのか、そのありようを知りたいと考えたからである」との記載個所及び原告らの「中核派」所属を否定する言い分を談話形式で記載した個所があること、本件記事には原告らを「中核派」であり、管制回線切断事件の犯人ないし内部協力者であると断定的に記載した個所はないことが認められるが、前記のとおりの本件記事の構成及び内容、本件記事が掲載された時期(管制回線切断事件が発生してまもない時期)等を考えれば、一般読者が普通に本件記事を読んだ場合、被告らの弁明にもかかわらず、原告らは「中核派」に属し、少なくとも管制回線切断事件の内部協力者であるとの印象を持つことは避けえないものと認めるのが相当である。

3  原告らが「中核派」か否かについて

ところで、原告らが「中核派」に所属していることをうかがわせる証拠としては、前記のとおり小菅記者が某労働組合から入手してきた本件リスト(乙第一号証)が存在するだけである。しかるに、〈証拠〉によれば、本件リストの信憑性は、左記のとおり、はなはだ薄いものであつたことが認められる。

すなわち、被告会社の松田記者は、本件リストの信憑性を確認するため、その発行元を取材しようとしたが、連絡がとれず、右リストがいつどのような方法で集めた資料に基づいて作成されたものであるかについて確認することができなかつた。のみならず、本件リストに記載された原告ら武蔵野電気通信研究所関係者の住所は殆んど全員十数年前の住所であつたほか、何らかの政治的分派に属している人の場合でも所属が明らかに異なつていたり、何らの政治的分派に所属していないのに所属しているものとして記載されているなど、多くの誤謬が存在していた。このため、本件記事の取りまとめを担当した被告会社の赤塚一デスク自身、本件リストの中には間違いもあるのではないかと考えたほどであつた。

しかも、前記二1(四)記載のとおり、被告会社の飯田記者が原告らを取材した結果でも、原告らが「中核派」に所属しているかどうかは真疑不明であつた。

そして、他に、本件全証拠を検討するも、原告らが「中核派」に所属し、管制回線切断事件の犯人もしくは内部協力者であることを認めるに足りる証拠は、何ら存しない。

以上1ないし3によれば、被告らは、原告らが「中核派」に所属し、管制回線切断事件の犯人ないし内部協力者であると認めるに足りるさしたる根拠もなかつたのに、一般読者が普通に読んだ場合、原告らが「中核派」に所属し、少なくとも管制回線切断事件の内部協力者であるとの印象を持つところの本件記事を「週刊新潮」昭和五三年六月一日号に掲載し、これを販売し、もつて、原告らの名誉を著しく毀損したことは明白である。

三被告らの責任

被告野平が被告会社の従業員であり、「週刊新潮」の編集発行人の地位にあること及び被告野平が記事作成にあたつて他人の名誉を毀損することのないよう厳重な注意を払うべき義務を負つていることは、当事者間に争いがない。しかるに、被告野平が原告らの名誉を毀損する本件記事を「週刊新潮」昭和五三年六月一日号に掲載したことは前記認定のとおりであるから、被告野平には前記注意義務を怠つた過失があつたというべきである。

また、被告会社が被告野平の使用者であること及び被告会社が出版事業に携わる者としてその被用者の行為によつて他人の名誉を毀損することのないよう被用者の選任及び監督につき高度の注意を払うべき義務を負つていることは、当事者間に争いがない。そして、前記認定の事実によれば、被告野平の本件記事の「週刊新潮」昭和五三年六月一日号への掲載が被告会社の事業の執行としてされたものであることは明らかである。そうだとすれば、被告会社において被告野平の選任監督につき相当の注意を払つたことの主張、立証のない本件においては、被告会社は民法七一五条により、被告野平の使用者として、被告野平が前記過失により原告らに加えた損害につき賠償責任を負うというべきである。

以上によれば、被告らは、いずれも、原告らが本件記事により被つた損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

四損害

1  原告らの被つた損害

原告らが本件記事によりその名誉を著しく毀損されたことは、前記二認定のとおりである。そして、当事者間に争いのない前記一の事実に、〈証拠〉を総合すれば、次の(一)及び(二)の各事実が認められる。

(一)  原告上原は、昭和一九年一〇月に電電公社に入社して以来、武蔵野電気通信研究所において電話交換関係の研究業務に従事していた者であるところ、本件記事が掲載されたことにより、職場内において危険視され、職場内で口を聞いてくれる者も少なくなるなどその対人関係において苦しい立場に追いやられたほか、組合運動においても、全電通労働組合が支持ないし容認しない「中核派」に所属しているかのような誤解を受け、正当な組合活動を行なうことが困難となり、以上の状態は現在も続いている。

また、原告上原は、長年活動してきた東京沖繩県人会において活動し、本件記事が掲載されたころは同県人会事務局長の地位にあつたが、本件記事が掲載されたことにより、同県人会での活動に多大の支障が生じたほか、居住しているマンションの住民から顔を合わせても口をきかないとか、顔をそむけるとかの態度を示されるに至り、かかる状況は現在も続いている。

更に、原告上原は、本件記事が掲載されて間もない昭和五三年六月七日、突然、埼玉県所沢警察署の浅沼護、目黒章両警察官から、管制回線切断事件について種々の事情を聴取された。

(二)  また、原告伊藤は、昭和三五年四月に電電公社に入社して以来、武蔵野電気通信研究所において電話交換関係等の研究業務に従事していた者であるところ、本件記事が掲載されたことにより、職場内及び組合活動において、現在まで、前記(一)の原告上原の場合と同様の損害を被つているほか、近隣住民との付合いも疎遠になるとか、妻及び義父らとの間に確執が生じる等の損害を被つた。

また、原告伊藤は、本件記事掲載後しばらくの間、自宅付近に夜間パトカーが駐車するとか、警察官と思われる者に動静を監視される等の迷惑を被つた。

2  損害賠償の方法と程度

(一)  慰藉料

前記二の本件記事の内容、名誉毀損の程度、前記四1の原告らの損害状況及びその他本件にあらわれた諸般の事情に、後記のとおり被告らに対し謝罪広告の掲載をも命ずることを総合勘案すれば、原告らが本件記事により被つた精神的損害を慰藉するための慰藉料額は、それぞれ七〇万円をもつて相当と考える。

(二)  謝罪広告

ところで、原告らは、慰藉料の請求と併せて、謝罪広告の掲載をも求めるので、以下この点について判断する。

確かに前記四1で認定したとおり、原告らは、本件記事により、現在も職場内の対人関係、組合活動、近隣住民との関係等社会生活上多大の損害を被つていることが認められる。しかし、本件記事が「週刊新潮」に掲載されてから既に三年以上が経過しており、一般の人は本件記事の記載内容を忘れているのが通常であり、本件記事の記載内容を記憶しているのは、原告らの職場の者、近隣の者等に限られるものと考えられること、本件記事は「週刊新潮」に掲載されたにとどまること、また、前記四2(一)のとおりの慰藉料額が認容されていること、その他本件にあらわれた諸般の事情を総合勘案すると、原告らの名誉を回復させるためには、被告らに別紙(一)記載のとおりの謝罪広告を、本件記事が掲載された「週刊新潮」目次頁下段に、表題の「謝罪文」とある部分並びに末尾の「株式会社新潮社」、「週刊新潮編集発行人野平健一」とある部分及び「上原成信殿」、「伊藤弘之殿」とある部分はそれぞれ二倍活字とし、本文は一倍活字として、縦八センチメートル、横14.5センチメートルの大きさで、一回掲載させれば足りるものと解される。

五結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、被告らに対し、主文第一項記載のとおりの謝罪広告の掲載並びに主文第二項記載のとおりの慰藉料各七〇万円及びこれらに対する不法行為の日の後である昭和五三年九月一二日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容することとし、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言は相当でないのでその申立てを却下し、主文のとおり判決する。

(石井健吾 永吉盛雄 難波孝一)

別紙(一)

謝罪文

本誌昭和五三年六月一日号は、同年五月二〇日に発生した埼玉県所沢市の管制回線切断事件について「すでにリストされている過激派職員の『その日』を点検する電電公社」という大見出しのもとに、あたかも上原成信、伊藤弘之の両氏が中核派に所属し、右事件の内部協力者であるかのような印象を与える記事を掲載しましたが、上原成信、伊藤弘之両氏につきましては、両氏が中核派であり、右事件の内部協力者であるとする、さしたる根拠もないのに、かような記事を掲載しましたので、同記事中両氏にかかわる部分を取り消します。

当社及び当社週刊新潮編集発行人野平健一が、右のような趣旨の記事を「週刊新潮」に掲載頒布して、伊藤弘之、上原成信両氏に対する世人の認識を誤らせ、かつ、その名誉、信用を毀損し、また、読者各位に対しましても多大の御迷惑をおかけしましたこと誠に申し訳ありません。

よつて、ここにお詫び申し上げますとともに、今後このような行為のないよう努力いたしますことを誓います。

昭和  年  月  日

株式会社 新潮社

週刊新潮編集発行人 野平健一

上原成信殿

伊藤弘之殿

読者各位殿

別紙(二)〈省略〉

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